時間・場所 二〇〇二年 秋 午後三時
不登校児専門の学園のロビーと思しき場所
一人、アキコが浮かび上がる。沈鬱な表情。やがて何かにおびえるように震えだしたかと思うとそれが止まらなくなる。少しずつ平静を取り戻すアキコ。
面接官の、アキコを呼ぶ声
カウンセリングルーム（上手袖にあると推測できる）へ入っていくアキコ
部屋は次第に暗くなり、そこへ突然電灯がついたかのように、まばゆい光が入る。
カウンセリングルームから出てくるアキコ。手には書類を持ち、書類に何事かを書き始める。
小学校三年生のユミコが顔をドロだらけにしたまま入ってくる。激しい息づかい
アキコ、書類の記入を続ける。
アキコの様子をうかがうユミコ
鬱陶しがるアキコ
いたずらするユミコ
ユミコ へへ
アキコ …………………
ユミコ へへ…
アキコ なに？
ユミコ へへ…
アキコ、無視する。
ユミコ 何書いてるの？
アキコ ……
ユミコ ねえ。
アキコ 名前と住所（不機嫌に）
ユミコ それだけ？
アキコ 生年月日と年齢、学校、家族…
ユミコ ふーん。
アキコ だれ？
ユミコ あたしはユミコ。三年生。
アキコ そう。
書類に没頭するアキコ
ユミコ （様子を窺いながら）お姉ちゃん、フトウコウ？
アキコ …………あなたも学校、行かないの？
ユミコ 違うよ。
アキコ じゃあ、どうして。
ユミコ お姉ちゃん迎えに来たの。
アキコ え？
ユミコ あたしのお姉ちゃん。
アキコ ああ。なーんだ。（間）……どうしたの？ 汚れてる（ユミコの顔に触る）
ユミコ あはっ！。
アキコ 男の子みたい。
ユミコ 砂場でね、トンネル掘ったんだ。
アキコ へえー砂場なんてあるの。
ユミコ ほらあそこ、あの高い木の向こう側に…砂場。
アキコ ああ。
ユミコ 砂場はね、掘っても掘っても砂なんだよ。
アキコ え？
ユミコ ずうっーと砂だけなの。
アキコ そう…
ユミコ お姉ちゃん。
アキコ アキコって言うの。
ユミコ アキコお姉ちゃん、一緒に砂場で遊ぼう。
アキコ いいよ。（拒否）
ユミコ ねえ。
アキコ お姉ちゃん来るんでしょ。
ユミコ 面接してるからいいの。
アキコ 面接？
ユミコ お家に帰るときは、面接するの。ねえ、遊ぼう。
アキコ いやよ、砂場なんて、子どもじゃあるまいし。
ユミコ お姉ちゃんと同じこと言ってる。つまんない。
（間）
ユミコ あたしね、学級委員やってるんだ。
アキコ そう。
ユミコ ★（同じマークのセリフは同時に開始する）タケシ君っていうんだ。
アキコ タケシ君？
ユミコ もう一人の学級委員。格好いいんだよ。だから立候補したんだ。
アキコ 楽しいね。
係官の声 ★だから気のせいだっていってるじゃない。
少女の声 いや、いやだってば。
係官の声 大丈夫よ。あなたは健康なんだから。深呼吸して。さあ、少しずつ、そう…飲んで…
ユミコ お姉ちゃん。きょう、キ・セ・イする日なの。
アキコ キ・セ・イ？
ユミコ ★★そう、キ・セ・イ。一日だけ。
コップの落ちる音。
係官の声 ★★駄目なの。
少女の声 気持ち悪い。
係官の声 また、やり直しね。…どうしてこんなものが飲めないのかしら。
アキコ あ、そうか。……おねえちゃん？
ユミコ 牛乳が飲めないの。だから給食が食べられないの。
アキコ 学校行ってないの？
ユミコ あ、お姉ちゃん。
アキコ こんにちは。
サエコ ……
ユミコ お姉ちゃん、また駄目だったの。
サエコ （吐きそうになって）……
ユミコ ユミコ代わりに飲んであげたのに。
サエコ ………おかあさんは？
ユミコ 来てない。
サエコ そう。
ユミコ お仕事だって。これ…（お金の入った封筒）夕飯二人で食べなさいって。（はしゃいで）………楽しみだね。
書類を出しに行こうとするアキコ
サエコ あ…
アキコ え？
サエコ いえ…
アキコ ええ。
サエコ お姉ちゃん荷物運んどくから。
ユミコ うん…
アキコ、窓口に書類を出して戻ってくる。
アキコ あら、お姉ちゃんは？
ユミコ うん、荷物。それよりね、きょう運動会の練習で一番取ったんだよ。
アキコ へえーすごいねぇ。
ユミコ マリちゃんがお休みだったんだ。
アキコ マリちゃん？
ユミコ とっても足速いんだよ。だからユミコいっつも二番なの。徒競走って、二番だとメダルもらえないんだ。でもきょうはマリちゃんお休みだったからメダルもらえたの。
アキコ ふーん、そう。
ユミコ でもね、そのメダルは偽メダルなの。
アキコ え？
ユミコ 練習だからね。
アキコ ああ。
ユミコ ◎でねでね、それでね、他に（ユミコは喋り続ける）。
サエコ （下手袖にあると推測される玄関の方から聞こえる）◎ユミコォ手伝ってよう。
ユミコ やあだ！
サエコ （陰の声）もうっ。
ユミコ へへっ。
ものすごい剣幕でサエコが出てくる。ユミコの額をぴしゃりとたたいて。
サエコ ユミコがどうも。
アキコ いえ、楽しい妹さんですね。
サエコ ユミコ、ピーマン食べられるようになった？
ユミコ 食べられなーい。それでも、身長が一センチ伸びたんだよ。
サエコ そう、よかったね。
ユミコ 今にお姉ちゃんを追い越すんだからね。
サエコ じゃあ、あと四センチね。
ユミコ 毎日牛乳を飲もっと。そうすれば追い越せるよね。
サエコ そうね。
ユミコ お姉ちゃんも牛乳飲めればいいね。
サエコ そうね。（アキコに）…………高校生ですか。
アキコ ええ。
サエコ 珍しいわ、今時。
アキコ は？
サエコ 今はほとんど中学生ですよ。
アキコ そう。でも、ちょっと相談するだけでも。
サエコ そうですね。
ユミコ ねえ、帰ろうよ。
アキコ ここは長いんですか。
サエコ ええ、まあ。……明和ですか、その制服。
アキコ そう。
サエコ あたし、実は明和志望なんです。いや、だったんです。
アキコ え？
サエコ 公立にしようかなって。明和学園、どうですか。楽しいですか。
アキコ ええ、そうね。
サエコ 一年生ですよね。いいなあ。
アキコ 受ければいいのに。
サエコ 私立は、高くて。
ユミコ お姉ちゃん、おなか空いた。
アキコ でも、何とかなるものよ。奨学金って手もあるし。
サエコ 奨学金か…。
アキコ 一日も行ってないの。教室、入れなくて。
サエコ ええ！ 一日も？
アキコ ええ、なあに？
サエコ だって制服着てるから…。
アキコ お母さんが働いて、折角買ってもらったから……
サエコ ◎でも……
アキコ ◎ここの寮って、どう？
サエコ 快適。冷暖房完備だし、ベッドもふわふわだし、トイレもきれいだし、先生も優しいし…ただ。
ユミコ ご飯がおいしくないんだよ。
アキコ ああ…
サエコ ええ、まあ。ほとんど食べないで、部屋でカップラーメン食べるんです。
アキコ 売ってるの、そんなもの。
サエコ 何でも売ってます。学校で売らないものなら、何でも。
ユミコ おなか空いた、つまんない。
サエコ まだ三時じゃない。我慢しなさい。
ユミコ おなか空いたの！。
サエコ だったら、パンでも買ってきなさい。ほら、お金。
ユミコ ごちそう、ごちそう、せっかくお金もらったのに。
サエコ ユミコ！！
ユミコ へいへい。
ユミコ渋々売店へ行く
アキコ あっ私のこと、いいのよ気にしないで。
サエコ えっ別に…。帰りたくないの。
アキコ だって、帰省なんでしょ。
サエコ うん……。
ちょっとした間
二人 あのー
サエコ あ、なんですか。
アキコ ごめんなさい。名前を聞いてなかったから。
サエコ サエコです。あなたは…
アキコ アキコです。よろしく……おかしい…
サエコ 何がですか。
アキコ あたし、こんなに人と話したこと、最近なかった。
サエコ お友達いるでしょう。
アキコ あたし、駄目なの、もう…………。
サエコ お友達…
アキコ もうやめて！
サエコ ………寮に入れるといいですね。ベッドは余ってるって…先生言ってたけど。
アキコ まだ…どうしようか、不安なの、やっぱり。でも◎家に帰っても誰もいないし。
ユミコ ◎お姉ちゃん！
サエコ ご飯、おいしくないですよ。
アキコ そうね、重要な問題ね。（笑う）
ユミコ泣きながら帰ってくる。手に牛乳。サエコに手渡して。
サエコ どうしたの？
アキコ なに？
ユミコ ヨウコちゃんがいじめたあ…
サエコ しょうがないねえ。
アキコ 誰なの？ ヨウコちゃんって。
サエコ よく遊びに来てるの。そこのカウンセリングルーム。
ユミコ ギャー（泣いている）
サエコ どうしたっていうの？
ユミコ ヨーコちゃんが、が、が、パン、…・食ったあー
アキコ お菓子あげるから、ね。
ユミコ お菓子…何？
アキコ チョコレート
ユミコ 食べる、でも、パンも食いたい。
サエコ ユミコ、いい加減にしなさい。
ユミコ いやだ、おなか空いた。
アキコ ミカンもあるよ。
ユミコ ミカン、ミカン。
アキコ ほら。
ユミコ 葉っぱついてない。いらない（泣く）
サエコ ユミコ！
アキコ はい、チョコ。
ユミコ うん。
アキコ ユミコちゃん、かわいいね。
サエコ 食べてばっかり。人の物まで欲しがるんだから。
アキコ 小さいときって、誰でもそうじゃない。私なんか今でも、何か持ち歩いてないと落ち着かなくて。
ヨウコが入って来る。何事もなかったかのようにいすに座り、そこにあったアキコのお菓子を食い始める。
アキコ あ…
ユミコ 泥棒！
ヨウコ なんだよ。
サエコ ヨウコちゃん、ユミコのパン、盗ったでしょう。
ヨウコ まずかったよ、あんパン。
ユミコ どろぼー
ヨウコ なんだよ…
サエコ やめなさいって……
アキコ ちょっと、そのお菓子、あたしのよ。
ヨウコ なに、お前。
サエコ ここに入る人。
ヨウコ フン、あんたも学校行ってねえのか。
アキコ あなた、何年生。
ユミコ 六年生、なまいき、男女、不良、インチキ…
ヨウコ なんだよ、うっせーなー。
ユミコとヨウコいなくなる。
サエコ 本当は仲いいのよ。
アキコ あの子、何しにここへ。
サエコ 火曜日には必ず、ここに遅くまで……
アキコ サエコさん、あなたはどうしてここへ？
サエコ あたしは、給食食べらんなくて、学校不適応……
アキコ そう……
サエコ 牛乳、飲みませんか。あたしは飲めないから。
アキコ いえ、あたしは…
サエコ だってお菓子いっぱい持ってるじゃない、牛乳がなくっちゃ。
アキコ いらない…
サエコ そう、じゃあ棄てるしかないね。
下手袖にあると推測されるゴミ箱に牛乳を棄てるサエコ
アキコがカウンセリングルームに呼ばれる。
サエコ あ…
アキコ ええ…
サエコ どうかしたの？
アキコ ここに入るのやめようかなって、ちょっと思って。
サエコ 学校、行きたいんでしょう。……話を聞いた方がいいと思う。
アキコ そうね。
アキコ、カウンセリングルームへ入っていく。 ヨウコとユミコ戻ってくる。
ユミコ あれ？ いない…
サエコ 中よ。
ユミコ お姉ちゃん、ねえ、帰ろう。帰って、ご飯食べよう。
サエコ はいはい。
ユミコ そうだ、帰る途中でご馳走食べよう、いいでしょう、（ヨウコに）ねえ。
ヨウコ えっ、ああ。。
サエコ なんだ、すっかり仲良くなったじゃない。
ユミコ お姉ちゃん、ごめん。
サエコ また悪いことしたの？
ユミコ へへへへへへへへへ
サエコ なあに、気持ち悪い。
ヨウコ ユミコが俺にもご馳走してくれるって。
ユミコ お父さんがね、お友達にもごちそうしてあげなさいって、いつも言ってるんだよ。。
サエコ あんた、行ったの、おとうさんのとこ……
ユミコ お小遣いもらったんだあ。
サエコ ユミコ、もう行っちゃ駄目よ。
ユミコ どうして。
サエコ どうしても。
ユミコ どうしてどうしてどうして…
サエコ ユミコ！
ヨウコ おい、聞いたか？
サエコ なあに。
ヨウコ 新入りが来るんだよ。
サエコ 何それ？
ヨウコ 寮だよ…寮…オ・ト・コ・ノ・コ
サエコ ふーん…
ヨウコ サエコ、うれしいだろ。
ユミコ お姉ちゃん、うれしいの？
サエコ 関係ないわ。帰省するんだし。
ヨウコ 高校生らしいぜ。
ユミコ 格好いい？
ヨウコ そりゃそうだよ。
サエコ そんなことどうしてわかるの。
ヨウコ だといいなって。
ユミコ いいな、いいな、お兄ちゃん。
ヨウコ だってよ、ここの寮の男、だっせーのばっかじゃん。期待しようぜ。
サエコ バカ。
ヨウコ 何だよ。
サエコ ヨウコちゃん、この学園に来る子なのよ。だいたい想像がつくでしょ。
ヨウコ あ、ひでえこと言ってる。自分はどうなんだよ。
サエコ うるさい、怒るよ。
ヨウコのポケットで「ヒトっち」が泣き出す。
サエコ あ…
ヨウコ わかってるよ。
ユミコ あー、それ、ユミコのヒトっち、ドロボー。
ヨウコ おめえの役目は終わったの。
サエコ 何歳？
ヨウコ 十一歳。
ユミコ 見せて。
ヨウコ ダメー！
サエコ ちょっと太りすぎじゃない？ デブっちね、これじゃあ。
ヨウコ こいつがお菓子ばっか食わせっからだよ。
ユミコ さっきまでおつむとれてなかったのに。
サエコ それおむつ。
ヨウコ バーカ、だからおめえには任せらんないの。
ユミコ ユミコのせいにしないでよ、この、男女。
ヨウコ なんだとこいつ……
サエコ ちょっとあんた達、けんかしてる場合じゃないでしょ。
ヒトっちが泣き出す
サエコ ほら怪我してる。ずっと見ててやんなきゃ、まともに育ってないんだから。
ヨウコ 貸せよ。
ユミコ 大丈夫？
ヨウコ 今死なせる訳にいかねえからな。
サエコ いじめ、始まってる？
ユミコ なに、いじめ、誰が…ねえ、誰かいじめられるの？ ねえ、どうして…
ヨウコ お菓子食い過ぎたからだよ。
サエコ それだけじゃないでしょ。父親に問題があるのよ。
ヨウコ うっせー、浮気した母親が悪いんじゃねえか。
サエコ あ、ほらほら、目を離しちゃだめだって。怪我治るまでさあ。
ヨウコ わかってるよ。
ユミコ へたくそ！
ヨウコ てめえ……
サエコ やめなさい、助けてあげるんでしょ、その子…
ヨウコ ああ。
ユミコ ああ。
ヨウコ まねすんなよ。
ユミコ いて…
ヒトっちが激しく鳴り出す。
サエコ あ、生まれる！
ヨウコ なんだって？
ユミコ 見せて、見せて。
ヨウコ なんだこれ？
ユミコ 見たことない。
サエコ 気持ち悪い。
ヨウコ ハハハ、これが、サエ………（口をつぐんで）ひどいもんだよ。すっかりひねくれちまってさ。
サエコ やっぱりね……何とかなる？
ユミコ リセットしよう。
サエコ バカ、怒るよ。
ヨウコ やっぱりそうだ。
サエコ なあに？
ヨウコ こいつ、いじめられてる。
サエコ 早く…お友達作ってやんないと……守ってあげようよ。
ヨウコ 全く、手かかるよなあ。
ユミコ お外で遊ばないの、砂場があるのに。
ヨウコ あそばねえよ。
サエコ まともに育ってないからねえ……
ヨウコ しょうがねえ、男友達でも作ってやるか。
サエコ うんうん、それがいい。
ユミコ お姉ちゃん、嬉しそうだね。
ヨウコ フン…ユミコ、名前考えとけ。
ユミコ え？
ヨウコ ボーイフレンドの名前だよ。
サエコ あたし、トオルがいいなあ。
ヨウコ トオル？
アキコ戻ってきて
サエコ どうでした……
アキコ 何してもいいって………何してもいいって言われた。それから、寮に入っても入らなくても、通いでもいいって言われた。自分で決めなさいって。
サエコ そう…
アキコ あたし、自分で決められない。決められないからここへ来たのに。答えがあると思ったのに。
サエコ 自分で決められないなら、こんなとこ来なきゃいいのよ（穏やかに）
アキコ え？
サエコ あなた来たくて来たんじゃないんでしょ。（穏やかに）
アキコ ここへ来ることは、自分で決めたの。
サエコ うそ。
アキコ え？
サエコ 先生に勧められたんでしょ。先生に行けって言われたんでしょ。無理して学校来なくていいって言われたんでしょ。来たくなったら来ればいいって言われたんでしょ。どうしてもいやなら、こういう処もあるぞって、ここを紹介されたんでしょ。学校行けない奴がたくさんいて、傷を嘗めあってるって、そう言われたんでしょ。
長い間
ヨウコ お前、いじめられたんだろ。
アキコ …………
ユミコ え、何々、どんなことされたの？
ヨウコ 話してみろよ。
アキコ …………
サエコ そうなの？
アキコ ええ、中三のときに……
ヨウコ 嘘言うなよ、ずっとだろ、ずっといじめられてたんだろ。
アキコ え？
ヨウコ その目、その顔、その態度、自信のない、人に頼ってばかりで、自分じゃ何もできない、そのグジグジした……それじゃ教室なんか入れねえよ。
アキコ だめなの、あたし、どうしても。
ユミコ アキコお姉ちゃん何されたの。あたしなんかね、いっつも男の子にいじめられてるんだよ。
サエコ 逆でしょ、あんた、男の子達に蛇つかんで追っかけてったっていうじゃない。
ユミコ そんなことしてないもん、ユミコだっていじめられてるもん。
サエコ 何されたの？
ユミコ あのね、こうやってね、髪引っ張るんだよ。それからね、こうやってね、スカートの中覗こうとするの。
ヨウコ ばーか、何にも分かってねえなあ、おめえは。
ヨウコが呼ばれる。
サエコ ヨウコちゃん、呼ばれてるわよ。
ヨウコ ユミコ、死なせんじゃねえぞ。
ユミコ だいじょうぶだもん。
ヨウコ、カウンセリングルームへ入る。
アキコ サエコさん、行かなくていいの。
サエコ 実は、迎えが来るの。
アキコ あ、それって、もしかして、お父さん？
ユミコ え、お父さん、来るの？
サエコ お母さんには内緒だよ。
ユミコ 何で、何で、内緒なの。ねえ、どうして。
サエコ 何でもいいから内緒なの。いい、わかった。
ユミコ わかった。あ、でも、ヨウコちゃんはどうするの、一緒にご飯食べるんだよ。
サエコ 大丈夫よ、一緒で
ユミコ わーいわーい。あたし、お父さん、お迎えに行って来る。（ヒトっちを放置する）
ユミコ、玄関の方へ行く。
アキコ いいなあ、お父さん迎えに来てくれて。
サエコ 一ヶ月ぶりなの、あたしは…
アキコ ……
サエコ なに？
アキコ お父さんのこと何も知らないの…お母さんも、夜遅くて…
サエコ そう……
アキコ ヨウコちゃん、元気いいわね。よすぎるくらい。
サエコ まるで男の子でしょ。
アキコ え？
サエコ お父さんが本気で殴るの、それであんな風に…お父さんも善し悪しね。
アキコ あ……（放置されたヒトっちをとろうとして）あたしもヒトっち持ってた。（しかしヒトっちはサエコが取り上げる）
サエコ ふーん…それでどうしたの？
アキコ なに？
サエコ あなたのヒトっち。
アキコ 途中で飽きちゃって、どこに置いたかしら。
サエコ ちゃんと面倒見なかったんでしょう。おしめ取り替えてあげて、ミルク飲ませて、おトイレ掃除して…ちゃんとやらなかったんでしょう。大変なのよ、ヒトっち育てるって。
アキコ そうね。
ユミコ戻ってきて
ユミコ お父さん、来たよ。
サエコ そう、アキコさん、あたしたち荷物運んでますから、ヨウコちゃんが戻ってきたら、玄関に来るようにって言って下さい。
アキコ ◎ああ、でもあたしもそろそろ帰ろうかと。
ユミコ ◎早く、早く、お姉ちゃん。
サエコ ユミコ、これ持ちなさい。
ユミコ やーだ！
サエコ ユミコ！
ユミコ へいへい！ アキコお姉ちゃん！ 学校行けよ！
アキコ あ……
そこへヨウコが泣きながら戻ってくる。サエコとユミコは既にいない。
アキコ あ、ヨウコちゃん、どうしたの？
ヨウコ （泣く）あたし、あたし……あたしがに股なんかじゃない。あたし、あたしは男の子じゃない。ちがう、ちがう……
アキコ ちょっと、どうしたの、ねえ、ちょっと。
ヨウコ、アキコの腕の中で泣き崩れる。
ヨウコ 助けて、お願いだから、あたし、いい子になるから…がんばるから、だから、だから……
ユミコが泣いて入ってくる。
アキコ ちょっと、ど、どうすればいいの、サエコさん！。どうしたのみんな。
アキコの腕の中に入っていくユミコ 収拾がつかなくなる。
アキコ ヨウコちゃん、ユミちゃん、ほら、ね、お菓子あげるから。
ヨウコ いらない。
ユミコ そんな物いらない。
サエコ、憤然とした様子で出てきて、
サエコ お父さんだけだと思ってたら、お母さんまで来てて、喧嘩してて……ユミコの前なのに、最低の奴らだわ。
アキコ そう、ヨウコちゃんも、突然泣き出しちゃって。 二人とも、ほら、顔拭いて……お菓子、食べる？
サエコ ユミコ。ヨウコちゃん。（二人はぴたりと泣きやむ）
ヨウコとユミコ、サエコに寄り添う。眠ったようになる。
そのときまた電子音。ヨウコのヒトっちが鳴り出したのである。しばらく泣き続ける。アキコが取ろうとすると、泣きやんだヨウコがやってきてヒトっちを取り上げる。
ヨウコ あ……ユミコのやつ、ほったらかしにして…。
サエコ どう、まだいじめられてる？ トオル君は、助けに来ないの？
ヨウコ まだみたい。
ユミコ まず、お父さんとお母さんを仲直りさせなきゃ。
ヨウコ 手遅れだよ。もういじめは始まってるんだ。親をどうこうしても、もうどうにもならない。
サエコ （ヒトっちを取り上げて）好き嫌いをなくして、何でも食べなきゃ。
ユミコ （ヒトっちを取り上げて）お菓子はもういいよ。
ヨウコ （ヒトっちを取り上げて）いいから貸せよ。
ユミコ 助けてあげて。
ヨウコ トオル君を待つしかない。
サエコ けがの手当をしなくちゃ。
ヨウコ いじめるやつが増えてきたよ。
サエコ トオル君は、まだなの？ せっかくのボーイフレンドなのに。
アキコ ねえ、ねえ、何、何が起きてるの、あたしにも見せて。
サエコ 見ない方がいいわ。
アキコ どうして。
ヨウコ いじめが悲惨だからだよ。
サエコ ちょっとだけ見てみる？
アキコ ええ……
サエコ その子、名前があるのよ。
アキコ なんていうの？
サエコ …………アキコ。 （暗転）
アキコのいじめの場面が象徴的に再現される。。
○ 今日のアキコ当番誰よ。
○ あたしきのうやったもん。
○ じゃああなたじゃない？
○ そうよ。
○ ねえ、アキコきょうは何に牛乳入れよっか。
○ 納豆がいいんじゃない？
○ 納豆納豆
○ いいねいいね。
○ ほら食べなさいよ。
○ あんた、ちょっと工夫が足りないんじゃない。食べないんなら、飲ませればいいじゃない。しっかりしてよ。
○ そうね。ほらほら、こぼしちゃだめじゃないの。
○ アキコってホント愚図なんだから。
○ しっかりやってよね。
○ こないだも掃除のとき、バケツの水こぼしちゃってさあ。
○ 何をやってもだめねえ、アキコは。
別の日、照明変わって
△みんなあ、はやく用意して。もちろんアキコが主役よ。
△午後四時三九分五一秒。佐竹アキコ死亡。
△ああ、あの子が死んでしまうなんて…なんてすてきなことなのかしら。
△きっとあの子のことだから、天国に…・見放されて、地獄直行よねえ。
△ちょっと、アキコ、あんた死んだんだから動かないでよね。
△さあ、みなさん、お名残惜しいでしょうが、これ以上いると肺が腐ってしまうので、三年四組独自の儀式で、クラスメートの佐竹アキコを処分しましょう。
△ ほら、息を止めなさいよ……マジに死ねば迫力もあるのにねえ。
△ ほら、立ちなさいよ。
△ ははははは
△ ははははは
△ ははははは
三人の笑いが止まらなくなる。
現場に引きずり出されるアキコ
笑いの渦の中、弄ばれるアキコ
（最初の三人に気づいて）ヨウコちゃん、ユミコちゃん、サエコちゃん、助けて、あたしを、あたしを助けて。
サエコ 覚えてないの。
ヨウコ 覚えてるわけないじゃないの。そういう奴よ。こいつは。
アキコ 何、なんのこと？
ユミコ あたしはアキコ 九歳
ヨウコ あたしはアキコ 十一歳
サエコ あたしはアキコ 十五歳
アキコ 何、何言ってるのよ。
サエコ リセットボタンを押したでしょう。
ユミコ あたしが九歳になったとき、食べてばっかりで不細工だって、リセットボタンを押したでしょう。育てたあなたが悪いのに。
ヨウコ あたしが十一まで育ったときに、がに股で不格好で、不良になりそうって、リセットボタンを押したでしょう。
サエコ ご飯も食べさせず、遊びにも連れて行かず、あたしが食事を拒否するようになったら、突然リセットしたでしょう。
アキコ あなた達、だれ？
ユミコ 誰って、決まってるじゃない。あなたにリセットされた仮想現実の子ども。
アキコ ちょっと待って、あれはただのゲームじゃない。それなのになぜ。
ヨウコ 押すわよ。
アキコ 何…それ
ヨウコ あたしたちが育てていたのは、あなた。。
アキコ だって、それは。
サエコ あたしをリセットした後に、電源を切らずに捨てておいたでしょう。そうやって育ったのが、あなたなのよ。アキコさん。
アキコ いや、いや。
ユミコ あんな風にいじめられて、不登校児になるってのも当然ね。誰も育ててないんだから。
アキコ だって、それは両親が離婚して、だから私が一人だっただけで、ああ、ああ、分からない、分からなくなった。誰、あたしは誰なの。
ヨウコ リセットする。
アキコ いやだー。
アキコがリセットされ、新しいアキコが誕生する。
不安を抱えたままの新しいアキコ。
面接官に呼び出され、カウンセリングルームに吸い込まれていく
（了）
Copyright 1998 Hiroyuki Sugiuti.