五木の子守歌が流れてくる
Ⅰ 橘家の居間
生まれて間もない男の子（タカシ）が眠っている。
眠る男の子に忍び寄る数匹の鼠の影
やがて泣き出す男の子
里美がタカシを抱き上げる。
鼠、去る。
タカシが泣き出して止まなくなる。
母、橘晴美が入って来る
晴美 あらあら、お姉ちゃん、だめねえ。里美、貸して。
里美 おかあさん、もう少し。ね、すぐ泣きやむから。任せて、ね。
晴美 じゃ、頼むわよ。お客さん、もう最後だから。
里美 うん。タカシくーん。べろべろバー。
ますます激しく泣くタカシ。
里美 もうー、おかあさん、おかあさん。
晴美 はいはい。
二人中央に座って
里美 まだいるの？
晴美 お客さんなのよ。
里美 だって、お金払わないんでしょ。
晴美 里美。なに、その言い方。
里美 だって、こないだなんか朝まで騒いでたじゃない。あたし、うるさくって眠れなかった。
晴美 あらあら、お気の毒様。
里美 ねえ、ちゃんと聞いてよ。
晴美 はいはい。でもね、里美。あの人達にもいろいろ事情があるのよ。
里美 だからっておかあさんが毎晩毎晩うどん食べさせなくたっていいじゃない。
晴美 お店の看板書いてくれたのはだあれ。あなたの部屋の窓ガラスを直してくれたのはだあれ。お庭に鈴懸の木を植えてくれたのは誰なの。お店の宣伝をしてくれているのはだあれ。あなたのこと本当に心配してくれてる人達なのよ。あなた、自分の言ってることがどういうことかわかってんの。この家だって大家さんがちっとも直してくれないのを、あの人達がただで直してくれてんのよ。壁を塗ってくれたのも、屋根を葺きなおしてくれたのも・・・この前なんかあなたの自転車のハンドルが曲がってんのを三人がかりでなおしてくれたばかりじゃない。あなたそれをわかってそういうこというの。里美、あなたそういう子だったの。
里美 だって・・・・・・友達に言われるんだもん。お前プータローと暮らしてんのかって。
晴美 里美
里美 わかった。もう言わない。ごめんなさい。
激しく泣き出すタカシ。
タカシをのぞき込むように
里美 あら？ （新品の子供用の靴を指さして）
晴美 かわいいでしょう。
里美 何それ…
晴美 あの人たちよ。
里美 ええ？
晴美 精一杯のプレゼントなのよ。
里美 だって、まだ赤ん坊じゃない。
晴美 タカシ君はよろこんでますよおー
里美 …………
晴美 何が言いたいの。
里美 別に。
晴美 もう抱かせてあげないから。
里美 タカシ君はお姉ちゃんが大好きなの。
晴美 抱かせてあげない。
里美 あ、笑った。
晴美 タっくん、タっくん。
里美 笑うとお母さんにそっくり。
晴美 そうでしょう、そうでしょう。
里美 このヒクヒクしてる鼻なんか。
晴美 かわいいでしょう、かわいいでしょう。
里美 あたしにそっくり。
晴美 たくましくなるわね、きっと。
里美 余計なお世話。お母さん。
晴美 なんでちゅかあ。
里美 お母さん、抱かせて。
晴美 首、そう、大事にね。
里美 ほら見て、お母さん。本当にちっちゃいのねえ、赤ん坊って。
晴美 タっくん、タっくん。
里美 タカシ、お姉ちゃんだぞ。お姉ちゃんは偉いんだぞ。お姉ちゃんの言うことをちゃんと聞くんだぞ。
晴美 あらあら、大変なお姉ちゃんだわねえ。
里美 お母さん、何か、いる。
晴美 えっ、何？
里美 しー、ほら。
晴美 鼠かしら。
里美 いやだ。
晴美 おかしいわねえ、１匹２匹じゃないみたい。
里美 気持ち悪い。
晴美 大丈夫よ。ちょっと見て来る。
大きな鼠と出くわす晴美。叫び声を挙げる晴美。逃げる鼠。立ち尽くす晴美。
里美 タカシが驚くじゃない。
晴美 変だわ。元々鼠はいるもんなんだけど、あんなにたくさん。
里美 いやあねえ、おそばやさんに鼠だなんて。お客さん来なくなっちゃうわよ。
晴美 そうねえ。
里美 わるいやつらね。
晴美 歯がむずがゆいのよ、きっと。
里美 えっ。
晴美 だからかじらずにいられないのね。
里美 ぷっ。（吹き出す）
晴美 なあに。
里美 だって、あんまり真顔なんだもの。
晴美 変かしら。
里美 鼠に同情してるみたい。それに、そばやうどんかじったって、余計歯がむずがゆくなるだけじゃないの。
晴美 ぷっ。
里美 なによ。
晴美 だって、あんまり真顔なんだもの。
平和に笑う親子
忍び寄る鼠の影、東へ移動する鼠
晴美 変ねえ。やっぱり変だわ。タカシ頼んだわよ。
里美 眠ったわよ。
晴美 そうね。・・・・・・里美？
里美 何、おかあさん。
晴美 いえ、何も。
里美 フフ。
大きな揺れと轟音とともに、崩れていく街。
悲鳴、ヘリの音、臨時ニュースの声、爆発音、極度の緊張。
Ⅱ 廃墟の街。焼け跡。
それは地震災害の後のようでもあり、空襲の後のようでもある。暫くすると、そこにクマ鼠の一団が、東からやってくる。次郎吉と安吉、三吉の３匹である。親分格の次郎吉はけがをしている。
安吉 三吉。
三吉 何です？
次郎吉 いてててて。おい。
安吉 おめえ、それはジロさんの。
三吉 ・・・・・・・・・
次郎吉 やめねえか。けんかしてる場合か。
三吉 あっしがなめましょうか。
安吉 かじられちゃあ、たまりませんぜ。
三吉 何を。
次郎吉 やめろって言ってんだろ。
安吉 すんません。
次郎吉 すっかり焼けちまったなあ。
三吉 食い物があるかもしれねえ。掘ってみましょう。
安吉 みてみろよこの焼け跡。
三吉 あったらどうする？
次郎吉 いずれにしても、人間様がいなきゃあ、俺達は生きていけねえ。人間のいるところに、いてててて、くそう、これじゃあ動けねえなあ。
安吉 俺達が探してきますよ。
三吉 あっ。
安吉 なんだ三吉。
三吉 安さん、ほら。
安吉 ん？
三吉 あれ、何でしょう。ひもみたいのがたくさん。
安吉 おお、何だありゃあ。
三吉 食い物ですかね。
安吉 入れるか。
三吉 まかしてください。
三吉瓦礫の中へ入っていく。
安吉 三吉、出て来い。崩れるぞ。
次郎吉 三吉は。
三吉 大丈夫です。ほら、この通り。
次郎吉 何だそりゃあ、ミミズじゃねえのか。
安吉 やめとけやめとけ。
三吉 そうですかあ。つるっ。（食べる）
安吉 あっ、ばか。
三吉、安吉に向かって吐こうとする。そしてものすごい勢いで咳き込む。
安吉 馬鹿だよ、おめえは。
三吉 う・・る・・せ・・え・・・・。
次郎吉 どんな味だ。
三吉 味も何もありませんや。安さんもどうです。
安吉 俺は結構だよ。黒焦げじゃねえか。
次郎吉 安、どうする、これから。
安吉 住み慣れた天井も、もうこの様ですからねえ。
三吉 ここの家族、家建てなおすんじゃないっすか。そしたら又世話になりましょう。
安吉 ばか。いつのことになるってんだ。死んじまったかもしれねえってえのによ。それにな、新しい家は、鼠には棲みにくいんだよ。
三吉 じゃあどうするってんだい。
安吉 そ、それを考えてんじゃあねえか。
三吉 どこで。
安吉 頭に決まってんじゃあねえか。
三吉 考える頭があったんですかい。
安吉 貴様、何が言いてえんだ。
三吉 腹が減ってんですよ。
安吉 さっきミミズ食ったばかりじゃねえか。
三吉 ミミズじゃねえよ。
安吉 どうだか。
次郎吉 突然倒れる。
三吉 次郎さん。
安吉 ほれみろ、おめえがミミズなんか食うから。
次郎吉 大丈夫、大丈夫だ。俺も年だからな。
三吉 何か探してきますよ。
安吉 最初っからそう言やあいいんだ。
三吉 何だとこの野郎。
次郎吉 おい、頼むからけんかはやめてくれ。傷に響くんだよ。
安吉 早く行って来いよ。
三吉 命令するなよ。
三吉行こうとする。
そこに、やはり、この家を縄張りにしていた、ドブ鼠の一団がやってくる。
三吉 うわあ、くせえ。なんだい、こんな所に。
金太 なんだとはご挨拶だな。
銀太 次郎吉、久しぶりだな。
安吉 なんだその言い方は。
銀太 ふん。
次郎吉 まさか、こんな形で会うことになろうとはな。
金太 ああ、お互い同じ家に棲んでるっていうのによ。
三吉 こんなにくせえとは思わなかったぜ。
銀太 なんだとこの野郎。
三吉 は、は、鼻が曲がるぜ。
銀太 とうに曲がってるじゃねえか、てめえ。
三吉と銀太戦う。（音楽 ロッキーのテーマ 手裏剣のエチュード）
金太 やめろ、争ってる場合か。
銀太 だって、こいつ、くせえくせえって。
金太 言わしときゃいいんだ。
三吉 へっ、ドブ野郎が。
銀太 なんだと、こいつ！
金太 おめえもいい加減にしろ。三吉、俺とやるかい。
三吉 いや、、けっ！
次郎吉 三吉、おめえも、もう天井には棲めねえんだ。
三吉 どういうことです。
安吉 俺達も地下にもぐるってことだよ。
三吉 え？ まさか、俺達までどぶに・・・そんなのいやだよ。
銀太 ざまあみろ。
三吉 なんだとこの銀蠅野郎。
三吉と銀太 再び戦おうとする。（すかさず音楽）
金太安吉 やめろ。
次郎吉 千太がいねえな。
金太 困ったもんだ。こんな時に。ハツカ鼠に惚れたってわけよ。
安吉 馬鹿な話だ。
次郎吉 かごの鼠に恋するようじゃあ、千太もおしまいだな。
銀太 兄貴の悪口は許さねえぞ。
次郎吉 すまんすまん。ところで金太、下の具合はどうだい。
金太 水が汚れちまってて、とても暮らせねえ。うち等の仲間も大勢やられたよ。
次郎吉 そうか、俺たちは、この通り、棲む所がなくなった。仕方なくて、ここに戻ってきた。おまえ達もそうだろう。
金太 ああ。
安吉 そうだ。食い物は、今三吉が探しに行くところだ。
三吉 すねている。
次郎吉 どうしたってんだい。
三吉 おいら、ドブはいやだ。
安吉 しょうがねえなあ。
次郎吉 金太、ここは、暫くのあいだ、協定を結ばねえか。
金太 協定？
次郎吉 ああ、クマ鼠とドブ鼠は古来いがみ合いながらも、何とか絶滅せずに、人間様とともに共存してきた。廃墟の街で出会うのも何かの縁だ。ここはお互いに食料を分け合って、鼠の再建に努めようってわけだよ。
金太 再建？
次郎吉 ああ、俺たちの棲めるところは、もう限られてる。いやでもなんでも、お互い人間様にすがっていきていくしかねえってことさ。
金太 何だかよくわかんねえが、食い物を分け合うってえのは賛成だ。出かけようぜ、銀太。
安吉 三吉、行くぞ。
三吉 チェッ！
安吉 チェッ、じゃねえ。「チュウ」だろう。
三吉 チュウ？ はいはい、わかりました。・・・「チュウー」（安吉にキスしようとする）
鼠たち、次郎吉を残して三々五々散っていく。
次郎吉が一人たたずむ場所に、うつむく女がやってくる。橘晴美である。
次郎吉に気付く晴美。
晴美に気付く次郎吉
緊張
晴美 あっ。あのときの、あのときの。生きてる。あのときの鼠が、生きてる・・・・・・・・ よかった・・・・・・。
泣き、崩折れる晴美
静かに去る次郎吉。
（暗転）
Ⅲ 廃墟の街（２）
三々五々散っていた鼠達が帰ってくる。
食糧事情、焼け跡の様子などフリーエチュード
そこへ、傷だらけで憔悴しきったドブ鼠の千太が戻ってくる。
銀太 千太・・か？
金太 千太・・・千太・・・心配したぜ。
次郎吉 おめえどこ行ってたんだい。
千太 ジロさんか、元気そうじゃねえか。
次郎吉 そうでもねえさ、この通り、脚をやられた。
千太 ああ、気の毒なこった。
次郎吉 いったいどうしたってんだ。
千太 あいつのこと、助けようとしたんだ。
次郎吉 あいつ？
金太 ほら、さっきの。
次郎吉 ああ、それで？
千太 必死で走って、ついたときはもう手遅れだった。家がねえんだ。すっかり潰れて、火が回って、あれじゃあ助かりっこない。金太 しょうがねえよ。
千太 何がしょうがねえだ。おまえに何がわかるってんだ。ちくしょう。
次郎吉 おめえはどうしたんだい。
千太 火が、火が回って来て・・・・・・ちきしょう、俺が逃げ出さなきゃ、あいつを助けられたかもしれねえってのに。
次郎吉 なあに、死んだとは限らねえさ。
間
金太 どっちへ逃げたんだい。
千太 西だ。
銀太 ばかだな、千太。
千太 何が。
金太 西は危ねえんだよ鼠のくせに、そんなこともわかんねえのか。
次郎吉 まあ、いいじゃねえか。これでみんなそろったんだ。三吉、千太に何か食わしてやれ。
三吉 えーっ。
次郎吉 なんだい。
三吉 千太は何もしてねえじゃねえですか。
安吉 おめえには慈悲の心ってものがねえのか。
三吉 ねえよ。
金太 食い物って言っても、こればっかじゃあ、どうにもならねえな。もう少し遠くまで行ってみますよ。崩れてねえ家が西のほうに何軒かあるんだ。
安吉 棲みつくわけにはいかねえのか。金太 縄張争いが激しくてな。
銀太 みんなで戦いましょうよ。
金太 あっちは何百匹だぜ。
銀太 んじゃあどうするんです。
金太 おこぼれをいただいてくるんだよ。
銀太 情けねえ。
金太 銀太、てめえ、また地下潜って、薬付けの地下水飲んで暮らしてえのか。
銀太 そうじゃねえけど。
千太 金太、ここは、どうしてみんなここに居るんだ？
金太 さあ、銀太、なんでだ？
銀太 そんなの知るけえ。
安吉 妙な食い物があるんだよ。
次郎吉 ああ、三吉が見つけて来たのよ。
三吉 ミミズだよミミズ。千太、ミミズ、食うか。・・・・やっべえ、人間だ。
隆一と晴美がやって来る。
隆一が落ちている天井をどけて、その下の床の辺りを検分する。
晴美 ねえ、そこよ、その辺りよ。
隆一 ああ。
晴美 おもちゃ箱の右の方に、まだ整理してない写真が、その辺に。
隆一 わかってるよ。・・・・・ん？ これじゃないか。
晴美 あった、あった。
中から黒焦げになった写真の束が出て来る。
一枚一枚丁寧に探す晴美。
隆一 あるか？
晴美 ・・・・・・・。
隆一 一枚くらい、里美が持ってるよ、きっと。ほら、里美がタカシをおんぶしようとして落としそうになったときに撮ったやつがあったじゃないか。
晴美 顔、写ってたかしら。
隆一 帰って里美に聞いてみよう。
晴美 ひどい火傷なのよ。助け出すのがやっとだったじゃない。
隆一 治るさ、必ず。
晴美 あたりまえじゃない。
隆一 里美の部屋は？
晴美 二階だから、すっかり焼けてしまったわ。何も残ってなんかない・・・
手を合せる二人。
晴美 ここに家を建てましょうよ。立派なお店も。
隆一 そ、そうだな。
晴美 鼠がいるのよ。
隆一 何だって。
晴美 鼠よ。生きてるの。
隆一 気味が悪いな。
晴美 でも生きてるのよ。チュッチュッチュッ、出てらっしゃい。
隆一 そんなもの呼ぶなよ。
晴美 ほらほら、チーズよ。
六匹の鼠が一斉に顔を出す。
晴美 どうしたのかしら。
隆一 お前こそどうかしてるよ。疲れてるんだよ。
晴美 あら、家の住人だったのよ。昔から。
隆一 そりゃあ、そうかもしれないけど、犬や猫とは違うんだぞ。
晴美 どうして、同じ生き物だわ。・・・生きてるのよ。
忍び寄る鼠。
後ずさる鼠。
チーズをほおばる晴美
鼠達 あっ！
隆一 おい、何か聞こえなかったか。
晴美 いいえ。
晴美、祭壇のようなものをこしらえている。
隆一 お前が鼠呼んだりするからだよ。
晴美 意外と臆病なのね。
沈黙
隆一 昨日、役所の人が来たんだ。
晴美 ・・・・・・
隆一 何だかわかるか。
晴美 さあ。
隆一 関心がないのか。
晴美 お役所なんて信用してないもの。
隆一 そういう問題じゃないんだ。
晴美 都市計画の話でしょ。
隆一 ああ。
晴美 立派なお家を建てたいわね。地主さんから土地買い取って。二階建てで、子供部屋がたくさんあって。今度は地震なんかじゃあびくともしない家を建てるわよね。お店もうんと広くしましょうよ。従業員も雇って、おいしいおそばとおいしいおうどん、沢山作りましょうよ。そうだ、箪笥や食器棚は壁に備え付けてもらいましょうよ。そうすれば倒れなくて済むもの。壁には防炎材を使うのよ。それから、それから・・・・・・
隆一 もうよせ。（晴美を抱きしめる）
晴美 ごめんなさい。
隆一 辛いときに済まないが、ここには家は建たない。
晴美 えっ。
隆一 ここは道路になるんだ。今日、市から発表があった。
晴美 私たちの意見も聞かずに。
隆一 今話し合ってる。
晴美 反対するわよね。
隆一 当然じゃないか。
晴美 よかった。
隆一 でも、最悪の場合も考えておいた方がいい。
晴美 どういうこと。
隆一 わかるだろう。
晴美 わからないわ。何、最悪の場合って。
隆一 だから。
晴美 だから何よ。
隆一 落ち着けよ。
晴美 落ち着いてるわ。
隆一 もう決まったんだ。道路整備計画。
晴美 どういうこと。
隆一 この上を、バイパスが通る。
晴美 あなた、反対したんじゃなかったの。
隆一 俺一人の力じゃ、どうしようもなかったんだ。
間
晴美 ねえ、あたしここで炊きだしやっていい。お店、再開しましょう？
隆一 無茶言うなよ。
晴美 だって、ここを守らなきゃ。それに、何より、気が紛れるもの。
隆一 ああ、でもな。
晴美 あたし一人でもやる。ね。
隆一 今日は帰ろう。里美が待ってる。
隆一、晴美を連れて去る。
供物に忍び寄る鼠達
三吉 このチーズ、どうします。
安吉 そうだな。
千太 せっかくだ、いただこうぜ。
次郎吉 その前に、こうだ。（手を合せる）
銀太 何すかそれ。
次郎吉 さっきの二人の真似だよ。
金太 はあ。
手を合せる鼠達
一斉にチーズに群がる鼠達
（暗転）
Ⅳ 半人半鼠
廃墟にたたずむ半分鼠の人間、若しくは半分人間の鼠
それは紛れもなくサトミである。
そこへドブ鼠の千太がやって来る。
出くわす二人。無言の出会い。
千太 あんた・・・・・・ハツカ鼠・・・・・・だよな。
サトミ そうなの？・・・・・・
千太 心配いらないよ。怪しいもんじゃあねえから。仲間がいるんだ。みんないいやつだから。多分友達になれると思うよ。
サトミ あなた、いい人。
千太 人じゃあねえけど。
サトミ 弟がいたの。タンスが倒れてきて、其の下敷きに。
千太 お前もか。
サトミ お前もかって？
千太 いや、何、その、ほら、グシャッてさ、潰れたってさ。俺も、助けられなかったんだ。ちょうどあんたみたいに、かわいいハツカでさ。
サトミ お友達だったの。
千太 いやあ、片思いってやつかな。
サトミ おじさんも悲しいんだね。
千太 おじさんてえのは。
サトミ ごめんなさい。
千太 謝るなら最初から言うなよ。
サトミ ごめんなさ・・・ふふ。
千太 ハハハハハハ
サトミ フフフフフフ
千太 お前、その傷。
サトミ あちこち火傷してるの。そう言えばとっても熱かったのを覚えてる。あたし、死んだのかしら。
千太 死んだって。お前、生きてるじゃねえか。
サトミ あたし、眠る前に鼠を見たの。たくさん。みんな東に向かって移動してた。あたしはその反対方向に必死で走ってるの。どこまで走っても、だれにも追い付けない、そんな夢を見た。
千太 名前、聞いていいかな。
サトミ えっ？
千太 名前だよ、名前。俺、千太ってんだ、ドブ鼠のさ。
サトミ あたし？
千太 ああ。
サトミ あたしは・・・・・・サトミ。
千太 サトミ？ めずらしい名前だな、ネズミにしては。
サトミ あたし、鼠なの？
千太 こうやっておれと話してるじゃねえか。さっきから。
サトミ そうよね。
千太 お前、この辺の奴か？
サトミ どういうこと？
千太 この辺に棲んでたのかって。
サトミ わからない。気が付いたらここにいたの。
千太 すっかり焼けちまったからな。
サトミ あたし、どうしたらいいの？
千太 みんなのとこ行こう。
サトミ 恐くない？
千太 大丈夫だよ。俺がいるからさ。
サトミ ここにいちゃだめなの？
千太 食い物がないだろう。あっちへ行けば、何かあるさ。おまえ、おなかすいてねえのか。
サトミ ここ、ここがいいの。あっちには行きたくないの
千太 何言ってんだよ。
サトミ いや、いや。・・・・・痛い、痛い・・・・・・。
千太 どうしたってんだ。おい、しっかりしろよ。
突然意味不明の言葉でしゃべり出すサトミ。それは、人間が、鼠になるときの言葉である。
千太 どうしたんだ、どうしたんだ。
千太に襲いかかるサトミ。逃げ回る千太。やがて、力尽きたように倒れるサトミ。近づく千太。サトミを抱えて退場。
鼠達が思い思いの格好で飲んだり食ったりしている。
そこへ、サトミを抱えた千太がやって来る。異物の気配を感じて鼠達が一斉に立ち上がる。
銀太 何だ、そいつは。
千太 ご覧の通りだ。
金太 ひでえ顔だな。傷だらけだ。
千太 ハツカ鼠だよ。
次郎吉 お前さんの、これかい。
千太 そいつは死んじまったって言ったろう。
安吉 千太あるとこ女女か。いいねえ。羨ましいこった。
三吉 まさかそいつをここに連れ込もうってんじゃねえだろうな。
千太 そのまさかだよ。
三吉 てめえ、食い物もろくに運べねえくせに。
安吉 仲間にするつもりか。
銀太 兄貴はいっつも女女で、いいなあ。
千太 俺、なんかこいつほっとけねえんだ。気になるんだ。
金太 また惚れたのか。
千太 違う、そうじゃなくて。
安吉 何が違うんだい。
千太 こいつ、おかしな言葉をしゃべるんだよ。それに、なんか、こいつが、懐かしいんだ。
安吉 懐かしい？
次郎吉 そろそろ、お嬢様のお目覚めだ。
千太 気が付いたか。
その時、三吉が襲いかかろうとする。すかさず止めに入る銀太。もみ合いになる。
安吉 やめとけ！
金太 こんちわ。俺、金太。よろしく。あっちのが銀太。
銀太 あっちとはなんでえ。安吉 俺はクマ鼠の安吉。こっちが親方の次郎吉だ。そいで、あっちですねてんのが。
三吉 すねちゃいねえよ。三吉だよ。
銀太 名前、なんていうんだ？
千太 サトミだよ。
銀太 じゃあ、トミーだな。
三吉 おかしな名前だ。
千太 何を・・・。
三吉 怒った怒った。
千太 てめえ。
三吉 惚れてやがる。惚れてやがる。
安吉 これ、飲むかい。
サトミ 臭い！
安吉 上等の酒だぜ。
サトミ いいです。あたしは。
三吉 安さん、いつのまに。
安吉 おめえにはやらねえぜ。酒癖が悪いからな。
次郎吉 人のこと言えんのか、安吉。
三吉 俺にもくれよ。
安吉 だめだ。お嬢さん、一杯どうです？
サトミ いりません。
千太 安吉、やめとけ。
三吉 格好つけるなよ、千太。
千太 何だとこの野郎。
三吉 やっぱり惚れてやがるぜ。へっへっへ。。
安吉達に飛びかかる千太。金太と銀太が助けに入り、乱闘になる。頭を抱える次郎吉。
次郎吉 また始まりやがった。（サトミを連れ出す）
サトミ ここは、どこ？
しゃがみ込むサトミ。
千太 どうした、トミー。
三吉 ヒュウヒュウ。惚れてやがる惚れてやがる。
Ⅴ 炊き出し
音楽とともに、晴美が炊き出しの道具をリヤカーに積んで、入って来る。隠れる鼠達。
晴美をじっと見つめるサトミ
炊き出しの準備を始める晴美。
炊き出しの準備が整っていく。
そこへ、役人らしきヘルメットをかぶった男が二人やって来る。
役人Ａ あんた、こんな所で何やってんの？
晴美 ご覧の通りです。おうどんおいしいですよ。もうすぐ出来ますからあなたがたもどうぞ。
役人Ｂ 許可はとってるんですか。
晴美 ここは私達の店ですから。
役人Ａ 奥さん、普通のときじゃないんですよ。役所の許可が要るでしょう、役所の・・・。
晴美 この辺りは救援物資の集散地から遠いんです。その分食べ物や生活用品がまわって来るのが遅いんですよ。中にはまっても待っても何も来ない日もあるんです。こうやって、あるものからどんどん供給していかないと、お年寄りなんか簡単に死んでしまうんですよ。お役人さん、こうやって災害があったから一人暮らしのお年寄りや、訳ありで生活保護を受けてる人が取り沙汰されてますけど、誰にも知られず一人で死んでゆく人達が、この街にもたくさんいること、あなたがた当然知っていらっしゃるんでしょうね。
役人Ａ 知ってるとも、だからこうやって日々巡回をしておるのではないか。
晴美 じゃあ、行くところが違うんじゃあないですか。
役人Ｂ 許可が出てないって言ってるんだよ。
晴美 はい、おうどん。
役人Ｂ そんなもの要らねえ。（丼が落ちる）
晴美 あなた自分のしたことがわかってるの。
役人Ａ すみません奥さん、まだ新米なもんで。
役人Ｂ うわ、鼠。
晴美 あらあら。
役人Ａ まずいですよやっぱり。疫病でもはやったらどうするんですか。
晴美 私はここを動きませんから。
役人Ａ あなた、橘さんの奥さんですよね。
晴美 そうですけど。
役人Ａ この土地の強制使用について聞いてますね、御主人から。
晴美 強制使用？
役人Ｂ 震災から一ヶ月。いつまでもこのままにしておくわけにいかないんだよ。あなたのところだけですよ、手付かずになってるのは。
晴美 だってここは私達の家ですよ。
役人Ｂ 借家だろう。大家がサインしたんだよ。
晴美 借家なんかじゃあありません。あ、いや、借家は借家ですけど、土地は地主さんから買い取ることになっていて、既に契約の方も。
役人Ａ 書類は？
晴美 ありません。
役人Ｂ 地主もこの土地を明け渡したんだよ。
晴美 聞いてません、そんなこと。
役人Ａ 地主さんも家が潰れて、孫娘が犠牲になって、大変なんですよ。みんな自分のことで精一杯なのは同じなんです。あなたのように善意で炊き出しをやるだけの余裕のある人はまだいいほうなんですから。
晴美 ここを立ち退けって言うのね。
役人Ａ そうです。
晴美 ここで、あなたが立ってるこの場所で、八ヶ月の赤ん坊が死にました。業火に焼かれて、骨のかけら一つ残ってません。写真も、アルバムも、全部焼けてしまいました。自分が産んだ息子なのに、息子の顔が時々思い出せないんです。もしかしたら息子は最初からいなかったんじゃないかって・・・。お役人さん、私は親として失格でしょうか。赤ん坊の顔を忘れていくなんて、そんなことがあっていいんでしょうか。
間
晴美 おうどんどうぞ。
役人Ａ ・・・・・・どうも。
晴美 あなたもおうどんどうぞ。
役人Ｂ 僕は、いいです。ここは、巾十六メートルのバイパスが通ることに決まりました。
晴美 主人は賛成したんですか。
役人Ａ 御主人がどうのということではなく、街全体が、もうそういうふうに動いてるんです。
役人Ｂ 一週間後には、ここは完全に整地されて、更地になります。
役人Ａ 街全部が、そういうふうに動き出しているんです。
晴美 そういうふうに？
鼠達、突然役人達に噛り付く。
たまらず逃げ出す二人。
晴美が洗い物をする間。
鼠たちしのびより、こぼれたうどんの周りに集まる。
三吉 これだ、この味だ。
安吉 なんだい。
三吉 あの、焦げたミミズ。
銀太 ゲッ！
金太 こりゃあ、ミミズかよ。
三吉 おめえらの主食だろ。
銀太 何だとこのやろ。
安吉 お前らは、全く。
千太 懐かしい味だ。
金太 何だって。
千太 懐かしいんだよ。
銀太 兄貴、最近そればっかりですぜ。懐かしい、懐かしいって。
三吉 ヤキが回ったのさ。（食べようとしない安吉を見て）安さん、食えよ。うめえぜ。
安吉 ああ。（恐る恐るうどんをすする）あっ！
三吉 なんでえ、びっくりするなあ。
安吉 この味。
三吉 何だってんだよ。
千太 何だ？
次郎吉 安、どうしたんだい。
安吉 次郎さん、俺、こいつ食ったことありますよ。この味ですよ。
三吉 へっ、ついにきちまったか。
安吉 うるせえ、おめえ気付かねえのか。
三吉 何を。
安吉 だからこの味だっていってんじゃあねえか。千太、おめえも言ったろう。懐かしい味だって。
千太 ああ。
金太 なに寝言言ってんだい。
銀太 そうだそうだ。
安吉 サトミ、サトミ、どこだ。
サトミは晴美のすぐ近くにいて、安吉の声に気付かない。
晴美、うどんの周りに集まっている鼠たちに気ずいて、
晴美 ああ、あんた達、いるんじゃない。（照明大きく変わって）
そこは昔みた懐かしい光景である。
うどんやで酔っ払いながらうどんを食べる浮浪者達と晴美、里美のやり取りが繰り広げられ、うどん店の夜が再現される。このシーンは音楽に従って、約７分程度続けられる。台詞は一切なく、次のモチーフによって即興で演じられる。
① 千太がうどん屋の娘、里美にに恋をしていていること。
② 晴美は彼らから金を取ろうとしないこと。
③ 次郎吉が、生まれたばかりのタカシのために、なけなしの金で、子供用の靴を買い、それを女将に贈ること。
④ 若い連中はあくまで卑しく食い物やビールを食い散らすこと。
次郎吉が、タカシにプレゼントを渡す。
時間が来て、浮浪者たちはうどん屋を去り、塒へ帰っていく。
音楽ますます大きくなり、あまりにも懐かしく、切ない光景が、しみじみと続き、男たちがやがて去っていく。
Ⅵ 鼠
数日後
三吉が何かを盛んに掘っている。千太とサトミがいない。
銀太 来ませんねえ。
金太 そうだなあ。
次郎吉 安、食料はあとどのくらいだ。
安吉 なんぼもありませんね。食い扶持が増えたし。
次郎吉 そういえば、おふたりさん、いねえな。
銀太 金太、腹減った。
金太 昨日あれだけうどん食ったじゃあねえか。
銀太 うどんたあ何でい。
金太 うどんはうどんだよ。なあ…
三吉が何か（黒焦げの子供用の片方の靴）を発見する。
三吉 次郎さん。（靴を持ったまま）
そこへ千太が戻ってくる。
次郎吉 おお千太、サトミは？
千太 来たがらねえんだ、ここに。いやなんだとさ。
銀太 俺たち、嫌われたのかな。
千太 そうじゃない。サトミはここにくるのが怖いんだ。
三吉 次郎さん、次郎さんったら。
安吉 千太、どういうことだ。
千太 サトミはここに棲んでたんだよ。
金太 えー！
銀太 何言ってんだよ。
千太 いたじゃねえか、ここに。この家に。おめえだっていたじゃねえか
安吉 何言ってんだ、千太。
千太 おめえだって、あのうどん、懐かしい味だって、言ったじゃねえか。思い出せよ。
三吉 次郎さん！……これ……
安吉 何だまたおかしなもの拾ってきやがって。
次郎吉 待て安、三吉、こっちよこせ。
そこへサトミが入ってくる。
千太 サトミ……
次郎吉 サトミ？ おまえ、サトミといったか？
サトミ 痛い……痛い……
突然メチャ語をしゃべり出すサトミ。それは、鼠が人間に戻っていくときの言葉である。
他の鼠に襲いかかるサトミ。おさえる千太。
気を失う里美
次郎吉 千太、今の言葉。
千太 ああ。間違いない。俺と逢ったときにも、こいつ今みてえに。
金太 どうしたんだい。
銀太 なに深刻になってんだよ。
千太 こいつは人間だ。鼠になりかかってるが、あれから大部経つが、まだ鼠じゃない。現に、今みてえに時々人間の言葉をしゃべってる。こいつ、火傷したって言ってただろ。それから、あの母親も、娘が火傷したって。
安吉 俺たち。
三吉 おい、見ろよ。
金太 なんだよ。
銀太 おめえ、そんなでけえもの。どうやって・・・
三吉 俺たち鼠じゃない。
金太 何だって。
三吉 こいつを見ろよ。お前ら、見覚えねえのか。
銀太 なんだい、こいつは。あ・・・
三吉 俺たち三人で直した、ほら、自転車だよ。
千太 おい見ろ、この看板。これだよ、ここだよ。次郎さん。
安吉 お前が書いた看板じゃねえか。
次郎吉 千太。
千太 ああ。・・・・・・こ、こいつ。
安吉 俺たち、死んだのか。
千太 サトミを見ろよ。火傷も治ってる。助かる・・・。
次郎吉 千太。
千太 こいつ、死んじゃいなかったんだ。生きてやがる。生きてやがる。
安吉 千太、おめえが助けに行った、潰れたネズミってのは、まさか。
千太 里美だよ。あの、うどん店の里美だったんだよ。生きてやがる。生きてやがる。
三吉 ちきしょう、ちきしょう。次郎さん。
千太 俺たち戻って来たんだよ、ここに。
その時、橘晴美がやって来る。廃墟の前で呆然と立ちつくす晴美
近づく鼠。
晴美 （廃墟を荒らしながら）忘れていく、忘れていく、タカシの顔を忘れていく。 思い出せない・・・思い出せない。
（轟音とともに）役人たちが集団でやってくる。廃墟を片づけに来たのである。（ここはあくまで象徴的に描かれる）
役人たちを止めようとする鼠達。
激しい乱闘。
知らず晴美を守る里美。
役人達が去る。もうもうと舞う砂埃の中。
放心状態で立ちつくす晴美に次郎吉が近づく。そして、廃墟から出てきた黒焦げの靴の片方を晴美に渡す。
晴美 タカシ……タカシ……タカシ、会いたい。
晴美再び狂ったように廃墟を掘り始める。
里美 ねえ、何してるの、何してるのおかあさん。何してるのよ。ねえ、おかあさんを何とかして。何とかして、ねえ、おかあさんを何とかして。
千太 次郎さん。
次郎吉 ああ。タカシに会わせてやるさ。
晴美を連れ去るサトミ。
鼠達が中央に集まり、後ろ向きになり、石をかじり始める。
次郎吉 いいかみんな、かじり続けるんだ。鼠になったのも、ここに戻って来たのも、こいつのためだったんだ。女将のために、かじり続けろ。
激しい勢いで、かじる鼠達。
照明、音楽、急激に様相を変えて、
次郎吉 一九九五年一月十七日午前五時四六分、大きな揺れを感じた。俺たち六人は、 いつものように一晩じゅう電車の走る本線のガードの下で身を寄せ合うように眠っていた。日雇仲間のふたりが寝返りをうって俺の島に入りこんで来た丁度その時だった。ふと眼を覚ました俺の顔の前に真っ黒なコンクリートが迫って来るのが見えた。白いはずのコンクリートは真っ黒だった。声を挙げる暇もなかった。周りに積んであったがらくたやら新聞紙やら、毛布やらのお陰で、直接頭をやられずに済んだ。腰から下は崩れたコンクリートに埋まり身動き一つ出来なかった。そばにいた、仲間になったばかりの新米の二人の兄弟は頭をやられて死んでいた。他の仲間は瓦礫に埋もれていて、どうなっているのかわからない。なんとか這い出さなければともがいたがもうどうしようもなかった。次の揺れが襲った。身寄りのない俺たちは人知れず死んでいくのだという思いがよぎったとき、薄れゆく意識の中で俺が思い浮かべることの出来たのは、永年連れ添った挙句俺のもとを去った妻の顔でも、立派に育て上げた二人の子供のりりしい姿でもなかった。それは、社会から腐ったドブ鼠のように扱われてきた俺たちに、嫌な顔一つせずに優しい言葉をかけ、毎日ただ飯を食わせてくれた、下町のうどん店 の、年若い女将の顔だった。
三吉 次郎さん、もうだめです。
安吉 俺もだめです。
金太 千太、後は頼む。
銀太 おいらもだめだ。
千太 次郎さん、次郎さん。
音楽変わって、それは安らかな鎮魂の曲である。
そこには彫りあがったタカシの像が立っている。
晴美を連れて中央にやってくる里美
タカシの像に気付き、立ち尽くす晴美。やがてタカシを抱きしめる晴美。晴美を抱きしめる里美。
振り返った晴美が里美を抱きしめる。
二人を、いや三人を暖かく見守る鼠達。
鼠たちが、人間に戻っていく。
静かに鎮魂の曲が流れる中、天国へ去っていく多数の名も知れない人々。
タカシの像が白く輝く中 （幕）
Copyright 1998 Hiroyuki Sugiuti.